「将棋の子」を読んで 大崎善生 著 講談社
奨励会とは日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である。
子供の頃からの夢である「名人」を目指して訓練をつんでいる。
そこでは、26歳までに4段=プロ入りを達成しないと退会しなければならない。
そこまで行く間に、通常の人は人生のすべてを将棋に賭けているという人が多い。
そして、何も奨励会だけが苦しみ、彼らだけがこの現実社会の中で戦っているわけではない。
しかし、なぜ彼らの戦いがこんなにもせつなく、胸に迫ってくるのだろうか。
それは、棋士を目指すというあまりにも単純で逃げ場の無い目標のせいかもしれない。
あるいは、少年の日に抱いていた夢に人生をかけてすき進んでいく姿が健気だからなのだろうか。
年齢制限という厳然とした逃げられないシステムなのだろうか。
奨励会の修行は、一般社会に出た瞬間に限りなく無に近くなる。
それまでの努力が、その後の人生に何のキャリアも生み出すことは無い。
奨励会を退会した瞬間にたとえ何歳であろうと、何段であろうと、よちよち歩きの
赤ん坊のような状態で世間に放り出される。そして、悩み、戸惑い、何度も何度も
価値観の転換を迫られ、諦め、挫折し、また立ち上がっていく。
>主人公は成田英二
天才少年が、彼の将棋のために北海道より家族で東京へ移り住み、
4昇段の前に、父そして母もなくす。そして本人もプロを諦めて北海道に帰る。
そこでは、世間に溶け込めず借金まみれになりかなり厳しい生活を送る。
そのために、かつての天才少年が朝から、晩まで
強制収容所といってもいいくらいの場所で生活を送っている。
そんな中で、大好きな家族の写真も捨ててきて、何の取りえも無いが、
「自分にはこれがある」と、奨励会退会時にもらった将棋の駒を今も大切にもっている。
「自分これが、いのちのみなもとで、辛いときにはこれが元気をくれるんだ。これがないと自分を証明できない。」
そして健気にも
「自分の夢は、子供に将棋を教えてあげること」
「将棋をしていたことを後悔したことはない、むしろ感謝している」
と話す。
>筆者が成田を見て感じたこと。
奨励会で他人を追い落とすことに長けていく棋士。
人を信じたり、優しくしたりできない棋士。
たちが確実に奨励会には事実として存在していた。
将棋に利ばかりを追い求め、自分が将棋に施された優しさに気づこうともしない棋士と
比べて、ここにいる成田はなんて幸せなんだろう。
>将棋は厳しさのなかにも優しさを教えてくれるもの
>中座真の「八五飛車戦法」
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