世界の伸びている中小、ベンチャー企業は何を考えているのか? 安西洋之 著 その1
まえがき
本書は、中小企業ベンチャーの経営に携わる方に読んでもらうために書きました。
大企業が海外の中小ベンチャー企業の実情を知る為に書いたのではありません。
大企業にお勤めの方は、読まないでください。
なんとも表現が面白いまえがきである。
一応、自分も世界のベンチャー企業の1人となるのかなと改めて思いました。
まず、いつも思いますが、ニュージーランドでは、小さい事や田舎に属していることについて、日本と比べると、ぼ偏見が無いと思います。
この本を読み、同じようなことが幾度と出てきました。「グローバルなのでそれに従え!!」といっても
正直、中国人やインド人がそれに従うとは長年の経験上思いません。我独尊ではないですが、自分たちの先祖の考えや価値観を優先に考える事は、本人から見ると自己中心に見えて辛い時もありますが、報が混沌とする現代では、カッコいいと思う部分もありますし、非常に重要な考え方だと思う。
この本の構成だが、様々な国の中小ベンチャー企業の経営者に
1)企業が伸びる為の3つの要素を確認
2)国境をどのように活用しているか?を主に質問している。
1章 IT業界で伸びている企業
1)重複する基本的な回答が
ビジョン、人材、事業の集中である。
ガラス張り経営 インターンでも色々な情報を共有できる。
これで、決断が速くなるし、経営に参加しているという意識が高まる。
「ワークライフバランス」を意識、個人的な問題にも入り込む。
ニュージーランドではそれなりに出来ているなと思います。日本ももっと取り入れるべき。
ビジネスパートナーの重要性。スピードが速すぎる為に1人が全てを学ぶ時間が足りない。その部分を
補なったり、違う視点での意見を交わすためにもビジネスパートナーは重要。
2章 イタリアで伸びている企業に学ぶ
イタリア人はいい加減と言う偏見や先入観と闘わなければならない時もある。
1、オープンにすること。2、デザインが重要イタリア人らしい。3、信頼をベースにしたチームが重要
3章 デザインの使い方とブランドの育て方
スモールデザインとビックデザイン アップルのように機能+デザインになっている。
ニュージーランドでは、まだまだ、能性よりもデザインなので収納や日当たりが悪くなってもデザイン重視。
従業員や関係各社を虐げてできた商品だと買いたくない。デザインが関係の無い業界であってもデザインを入れてみる。イタリア人のセリフ「我々の生活にはアートが潜み、大量生産には職人技が潜み、それらがうまくバランスがとれるとれるとれているのが
イタリアデザインの強み」例えば、台所の調理用品にも「美しい」と言わせること。イタリア人の気質は実は「神は細部に宿る」を意識している。
ビックデザインは見えぬくい。正直、外国人の顔はみんな同じに見えるし、行動は理解できない。なのでよくわからない。という部類に入る木は見れないが森は見えるとなる。この逆で日本人のことは、森が見えづらくなる。
アート補助金で従業員の意識を変える。美術館への入場料を会社が負担。
これで、教科書などではなかなか教えない、「感じること」を学んでもらう。
機能性は十分に満足出来てきたので、アートは今後、非常に重要になってくる。
日本人の聖地好きやとにかく、先駆者を拝む癖はあまりよくないのでは?
自分が教科書を作るくらいの気合が必要。
4章 組織のデザイン
ワークライフバランスを整える
・倫理資本主義
ブルネッロ・クチネッリの洋服事業。高額商品が主。経営者の考え方
ビジョン、人材、事業の集中ではあるがそれは、それは売り上げの10%を上げるときには有効。
もし30%上げたいなら1、他人への敬意、2、自分を肯定する尊厳 3、想像力が重要と説く。
彼が小さい時に父親の働いている姿を見て、労働により、疲労が困憊してさらに人間として扱われなかった時代背景があり、人が人として大事に扱われる事業を打ち立てないと夢見る。タイムカードはなし、組織はフラット化を目指す。社員食堂はおふくろの味の大衆食堂で働きやすさ、をめざし、給料は他の企業より20%増し。また、地域の建物の改修の寄付などをもして街の復興に力を入れる。
人生のスパンをロングスパンで見る。「生き方」というビジョンを組織で育み、500年先を見るような意識で進めて行けばよい。そうすれば、生きにくい現代を肯定的に捉える事ができる。地球は無残な死はありますが、100年前、200年前に比べて「不条理な死」は確実に減っており、人類は「もっと希望を持ってよいはず」と語調を強める。
「欧州は損得より2段階上のレベルでビジネスをしている人達がまだいます。常にそこにいるわけではないですが、議論の何処かにいつも、それらの概念が影響してきます。」日本にもそのような概念はつい最近にもありました。損得を超えた信義を問う時に「腹を切れ」という行為」が同じ。
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